自然な発色、が褒め言葉になるようないまのヒコーキ写真界を緊急事態というべき

 ヒコーキ写真と一言でいっても、スポッター写真もあれば風景との見事な融合写真も、ヒコーキそのもののドカーンの写真まで、そこそこ幅は広い。

 いまから言及するのは、スポッター写真に関しては対象外だ。

 ここ数年、カメラや現像ソフトの劇的な進化もあり「ヒコーキ写真が綺麗に撮れて当たり前」といってもいい。

 それが証拠に「撮りっぱなしJPG」写真を誇らしげに掲げるのも、やや滑稽にさえ見える。それは、それらを誇らしげにアップする人への批判ではなく、カメラメーカーへの称賛と受け取っていただければ、混乱が少ないだろう。

 ここでいう「綺麗」に関してはやや定義が必要だ。

 多くの場合、モノクローム写真を見て「綺麗だ」と感じるより、発色の良いカラー写真に対して「綺麗だ」と認識する。

 階調豊かな、それこそ本当の意味で「綺麗な」モノクローム作品を目の当たりにした方が実はインパクトが大きいのだけれど、やや道が外れるのでここでモノクロームには深掘りしない。

 カラー写真において見る側に印象の変化を与えるものとしては、「色温度」と「色かぶり」、「彩度」の三大要素に集約できる。

 さて、表題にある「自然な発色」。ここ最近、この「自然な発色」で仕上がっている作品、写真に対してことさら称賛される傾向にある。

 この、暗に「自然な発色」で仕上げるべきという、ヒコーキ写真かくあるべき像の刷り込みが横行しており、気持ち悪い。

 さらにいえば、その称賛された作品、写真は「自然な発色」だからよかっただけではないはずなのに、それがあたかも「自然な発色」だから優れています、見事です、ではヒコーキ写真界の将来を明るく照らしていない流れだ。

 ヒコーキ写真と言えども、アート作品だ。

 もちろん、そうでないという考えはあっていい。

 見たまま、撮ったままが良いという、見たまま再現主義はそれはそれで立派な作品だ。

 ただ、アート作品としての表現の仕方、見せ方、こだわりはとことん追求して良い領域であり、その幅を狭めるのではなく無限に広げてこそ、新しいヒコーキ写真の表現世界が生み出される。

 色調的に破綻もしていなければ、違和感すらない作品の重箱の隅をつついて「この部分がオーバーコントロールだ」と決めつけるのも、将来を明るくはしてくれない感性だ。

 もし、もしこの「自然な発色」がそれほど称賛されるなら、C-PLフィルターでさえ使えないことになる。C-PLフィルターで捉えた空が「自然な発色」なわけがない。C-PLフィルターは好んで使うけれども、見ようによっては違和感でしかない。

 そう考えると「自然な発色」に変にこだわり、引きずられることほど馬鹿らしいものはないのが少しは理解できるだろう。

 そもそも「自然な発色」って何?説明できる?

 何で撮って、かつどんなモードで撮れば「自然な発色」になる?。

 自然=ナチュラル、だから「ナチュラルモード」限定?。

 JPG撮りっぱなしが「自然な発色」?そんなわけはない。

 RAWからの現像だって、どこまでが自然でどこからがやりすぎ?。

 よく言われる「写真の範疇」を超えないもの、が一般的な線引きかもしれないが、ではその「写真の範疇」って、一体どこまで?

 現像ソフトは撮影者の撮影意図、表現意図をその作品に注入するツールであると考える。だからこそ、「自然な発色」を超えてはいけない、などというくだらないマインドブロックだけは植えつけてはダメだ。日本のヒコーキ写真界にとってプラスにならない。

 もっと自由に、そして思うように表現すべきだ。例え誰に言われようとも、とことん追求すべきだ。「自然な発色」が称賛されたからといって、表現の幅をそこに狭めてはダメだ。もっと挑戦すべきだし、その刷り込みを吹き飛ばすぐらいのアートな世界へ飛び出すべきだ。

 小さな枠に留めさせようという流れは、色空間で言えばsRGBのようなもの。

 色再現の良くない粗悪なモニターの環境から普通のモニター環境の中で「そこそこ誤解なく」閲覧できるように小さく小さくまとめた色空間を、これが基準だと言わんばかりに standard RGB と定めてsRGBになったように、表現の幅も「そこそこ」で終わらせる気なのか。

 言いたいのは、この「自然な発色」論が、その通り!良いぞ!と思うのは自由にすれば良いのだが、それこそが正解で、それ以外は良くないもの。という大きな誤解と根底から誤まっている認識だけは持って欲しくない。

 もっと大きな世界へ、広い世界へ、そして懐の深い世界へ。

 心からそう願う。

 いま、そういう意味で、緊急事態だ。

「自然な発色、が褒め言葉になるようないまのヒコーキ写真界を緊急事態というべき」への2件のフィードバック

  1. サチった写真の時代が来るぞ! というのは20 年前 電塾時代から予想されてましたね。
    かく言う自分も クライアントの要望に沿って、派手目な仕上げで納品しがちです ….. 世の流れかな?

    その反省もあって、少しは控えめな画像処理を心がけていますが、自分が感じたポイントぐらいは強調したいなぁ〜 と。

    1. 山田さん
      そうでしたね!20年前から。あの電塾時代にデジタルに関してとことん学ばせていただいたことが今に脈々と生きています。
      「要望は要望だから、、、」は広告写真時代のアートディレクターの口癖でした。
      まあ、そういう経験が1周2周だけでなく、何周もしても今ですから、ここまでハッキリと書くんですけどね。
      おっしゃる通り、何もどう強調したいか。その意図と意思はきちんと注入すべきです。

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